今日できることは今日やる事かそうでないかの判断を誰かに任せてはいけない

1日は24時間である、26時間持っている奴はいない、誰でも知っている。

だが世の中にはそれを知りながらなんとかしようとする人々が多い

責任感か、はたまた惰性かそれは人それぞれであるが、多くの場合それが適正に評価されることは無い。

サービス残業という言葉があるがそれは体のいい言葉に直しただけで

サービス残業=無給労働=違法労働=労働者に対する不当な健康の搾取と時間資源の略奪 

に他ならない

努力が評価されて給与の査定にプラスになる。または勉強の為と理由をつける方は多い、本人がそう思ってやる分にはいい、少数ではあるが家に居場所がないという人もいる。

一番の問題はそれを給与を払う経営者側が声高に残業に対価を払わないの理由を語り始めた場合である。

いかなる美辞麗句、自己実現、金銭以外の充実感を話したとしてそれは対価を払わないことに対する理由にも言い訳にもならない、子供だまし以下である。

まだ、「残業の対価を払うことはできない、ただやってもらわないと企業が存続しない。」と頭を下げられた方が心は動く。

私の実経験ではあるが、今まで最悪でサービス残業が月次280時間を超えたことがあるが本当に記憶がなくなるもので時間の感覚と曜日の感覚も同様になくなる

ずっと仕事をしている感覚になるのである。

でもそれをエライと思う経営者はいない、むしろそのように仕向けた自分の手腕?を自画自賛する。

端的に言えば100時間サービス残業させたらどうやって150時間させるかを考えるのがブラック企業の経営者である、労働者をチューブ糊ぐらいにしか考えていないのだろう。

そうでないのなら対価を払うもしくは残業そのものをさせないという方法を取るのが適切な対応であり、誠意である。

絆だの情だのを語る前にこの縁は何でつながったものかを考えるべきだ。

労働条件とその対価(賃金)でつながった縁に対して誠意を示すのなら対価でもって答えるのが筋である。筋を通さない者は救いようが無い

何故、労働基準法があるのか

理由は簡単である、基本的に法律は起きたトラブルに対して必要があって新設される。実際にそのことで

「現行法ではどうにもならなくなったことがあった」

のである。それを決して忘れてはならない

本日の妄言

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